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さよーなら またいつか !
2026.09.10
ダイゴのブログ、正真正銘の最終回。
どんな事を書こうかなとずっと考えていたけれど、やはり最後は物語のはじまり、池田館との出会いから話そうかなと思います。
私が富士山のアルバイトに本格的に興味を持ったのは、昨年5月のこと。
池田館のスタッフの山さんと北海道の農家さんで出会ったことがきっかけです。もともと富士山のアルバイトに興味はあったものの、どうやって応募したらいいのかわからないし、そもそも小学5年生の時に富士山に登り高山病になったことがトラウマだったので、やってみたいけどやりたくない、そんな感じでした。
でも、北海道で山さんと出会い、畑仕事をしながら話を聞くうちに、「ちょっとチャレンジしてみたいかも」という思いが強くなりました。それに、私は世界遺産の勉強をしていることもあり、「世界遺産で働ける機会なんてそう多くなくね?」なんて思うようにもなりました。
「経験は一生モノ。ならやるしかない」
そう思い、年明け後すぐに山さんに連絡し、無事に夏は池田館で働くことが決まりました。
~ブルドーザーで八合目に向かう直前、実は不安と緊張で気が狂いそうでした~

7月上旬、小屋の準備のためにブルドーザーで小屋まで上がってきましたが、しかし。
そこは標高3250mの富士山八合目。やはり簡単に環境に慣れることはできませんでした。
一番心配だった高山病に真っ先になり、眉間の奥が痛い状況が3日間続きました。正直に言うと、この時点でトラウマが蘇り、来なきゃよかったかもと思っていました。
さらに水問題。これまでの人生で24時間風呂に入らなかったことがほとんどなかったので、ものすごく違和感がありました。歯を磨くのも制限されている状況だったので、いつか虫歯になるんじゃないか、と常に心配でした(←まさかこの後2回も歯痛で下界に下りることになるとは…)。
そして迎えた開山日。
今でもはっきり覚えてることが2つあります。
1つ目は、休憩中に緊張やらストレスやらですこぶる腹の具合が悪くなり、何度もトイレに駆け込んだこと。まさか富士山でもトイレとお友達になるとは思いませんでした。初めての客室案内、初めての焼印、初めての夕食の準備、初めてのetc…。普段から頻繁に腹を壊す私が、一気に初めてのことをやろうとしたらそりゃ何度もトイレに駆け込みます。
2つ目は、初めてお客様の金剛杖に焼印をしたとき、緊張で手がブルブル震えていたこと。普段あまり緊張しない自分が焼印をするだけでそこまで手が震えるということは、よっぽど緊張していたんだと思います。今考えたら全く緊張する要素なんてないのに、当時は初めてのことだらけで客室案内をするにも声が震えていました。それだけ初々しかったってことですね。
初日は開山日であるのに加えて金曜日だったこともあり、2か月働いた中で一番忙しい一日でした。
~今ではなんてこともない焼印も、最初はガクブル~

とはいえやることは毎日基本的には同じなので、仕事さえ覚えてしまえばこっちのもの。慣れてくると視野が広がり、仕事を楽しむ余裕も出てきました。
限られた環境の中で長く仕事を続けるには、何か楽しみを見つけることが大切だと私は思います。私にとってのそれは、様々な国籍の方と話すことでした。
私が話した方はアジア圏以外だと、フランス、イギリス、スイス、ドイツ、オランダ、イタリア、ポーランド、エストニア、ロシア、アメリカ、カナダ、ブラジルと、本当にたくさんの国籍の方と話すことができました。ゆくゆくは海外へ行こうと思っている私にとって、毎日が刺激的でした。会話の中で相手の国の街や言語を知っていると伝えると、パッと表情が明るくなり、ひとつ壁が壊れるのを実感できるのはものすごく嬉しいです。
~歯痛下山1回目、麓のコンビニにて前日池田館で出会ったアメリカ人と再会~

また、私にとって「夜勤」というのは初めての経験でした。
昼の12時から翌朝5時までの仕事は最初こそ大変でしたが、慣れたらこれほど天職なものはないといった感じでした。なぜなら天気が良ければキラリ煌く流れ星やチラチラ輝く夜景、魔法がかかったような朝焼けを、暴風の時は変わった雲を見ることができると気づいたからです(雨や霧の日は寒いし暗いのであんまりですが)。
私が何度かブログで上げているように、富士山の風景というのは刻一刻と変化するものであり、何一つとして同じ風景はありません。もちろん下界の風景も二つとして同じものはありませんが、山の天気は変わりやすいもの。富士山ではそれだけ様々な風景を見ることができます。
「今日はどんな風景が見れるかな」
そんなことを思いながら夜勤ができることは、私の夜の楽しみでもありました。
~吹きすさぶ暴風の中撮った天の川~

そんな忙しい日々も、終わってしまえばあっという間。
思い返せばたくさんの思い出が蘇ります。
仕事の手が空いた隙を狙って推し活してたら、社長のひろさんに「おいサボってねーで仕事しろよ笑」と注意されたり。
アメリカから来たそう君には、私が英語ネイティブでないのを良いことに、英語でバカにされたり。
2か月間ほぼ毎日一緒に夜勤だったワダさんとは、深夜の脳死会話でキャッキャウフフしたり。
ものすごく些細なことではあるけれど、その小さな楽しみがあるからこそ、2か月間続けられたのではないでしょうか。
さらに言えば、その小さな楽しみを心の底から楽しむことができるくらい感受性が豊かになった、ということがこの2か月の自分自身の変化なのかなと感じます。
~コタツムリな毎日夜勤のふたり~

~この朝焼けが見られるなら夜勤も頑張れます~

さて、二か月に及ぶ池田館での生活を振り返ってみましたが、いかがだったでしょうか。
池田館での生活がどんなものか少しだけ想像できたかなと思います。
富士山の山小屋は極めて限られた環境のため、下界にいると体験できないようなことがたくさんあります。
特に水と電気については厳しく制限されるため、とっても不便です。
しかし、だからこそ、この経験が一生の宝物になると信じています。
不便さの中で何をどう感じ、学び、次に活かすのか。それは人の数だけ答えがあると思います。
もし池田館のブログを読んで山小屋バイトに興味が湧いた方がいたら、ぜひチャレンジしてみてください。
後悔はしないはずです。
来年の登山シーズンを楽しみにしながら、最後のブログを閉じたいと思います。
いつの日か、また会える日まで。
~あとがき~
ここまで読んでいただきありがとうございました!
数えたら13本もブログを書いていました。
時にふふっと口角が緩むような、時に真面目なブログを心がけていましたが、楽しんでいただけたでしょうか。
読者の皆様が少しでも富士山や山小屋について知っていただけると幸いです。
それでは、ここまでのブログはダイゴがお送りしました!
さよーなら またいつか!
