
現在、筑波大学大学院に所属している作森元司郎と申します。8合目池田館でのアルバイトは今年で5年目になります。私が今回池田館のブログに投稿しようと思ったきっかけは、山小屋で過ごす中で、自分自身が感じた「不便さ」と、その中にある「価値」をこれから富士登山に挑まれる方と共有したいと思ったからです。
大学2年生の夏、私は富士山の富士宮ルート8合目にある池田館でアルバイトを始めました。きっかけは、単純な好奇心でした。標高3,250メートルという過酷な環境の中で、人々がどのように働き、暮らしているのかをこの目で見てみたいと思ったのです。
実際に働いてみると、山小屋の生活は期待通りに不便でした。水は貴重品で、トイレは水洗ではありません。風呂もなかなか入れず、電気は限られ、電波も不安定。物資はすべてブルトーザーや人の手で運ばれ、何ひとつとして「当たり前にそこにある」ものはありませんでした。
このような環境に対し、「改善すべきだ」と口にする方も多くいらっしゃいます。便利な現代社会に慣れた私たちにとって、それはもっともな感想でしょう。
私もその意見は一定程度理解できます。しかし、完全には同意できません。
なぜならこの不便さにこそ山小屋の価値が内在していると考えるからです。
今の下界での私たちの暮らしが快適で便利なのは、長い年月をかけてインフラやサービスを整えてきた、無数の先人たちの努力の積み重ねがあるからです。水道の蛇口をひねれば清潔な水が出て、トイレを流せば汚れは見えないところで処理される。この上下水道の網が国中に張り巡らされているという事実は、決して当たり前ではありません。
山小屋のような不便な場所に身を置くことで、私たちはこの事実にようやく気づくのです。何気なく享受している日常の便利さが、どれほど多くの人の知恵と労力に支えられているか。そして、それらにもっと深く感謝する気持ちを取り戻すべきなのではないか、と考えます。
不自由な環境にはそれ自体に意味があるのではないでしょうか。
山小屋での暮らしは、下界での便利な暮らしに胡坐をかく現代人の傲慢さを浮き彫りにし、我々の生活や社会の仕組みに対するまなざしを変えてくれるものです。
これから富士登山に挑戦される皆さん、山小屋に宿泊される皆さんには、山小屋にてひと時の不便をご満喫いただき、自分自身の誰かの支えがなければ生きられないこと、そして見えないところで我々の暮らしを支えてくれている多くの人に対する感謝を思い出して、下界に帰っていただければと思います。
これから富士登山に挑戦される皆さまが、山小屋の不便に対して不満を感じる時、同時に、少しでも下界での暮らしに対する感謝を思い出していただき、「見えない他者への感謝で満ちた下界づくり」に貢献できるのであれば、今日も私は喜んで皆さんの粗相にとことん付き合います。
それではトイレ番に戻ります。
筑波大学大学院 作森元司郎